舌鼓
これ、どう読まれますか?
したつづみ ですよね。
それが当然と思っていました。
が、ある所で、「したづつみ」と言った人が居ました。で、別の人が、「したつづみでしょ」と指摘したのです。そしたら、また別の人が、「本来はしたつづみなのだけど、今は誤用が認められつつあって、したづつみでよくなりつつあるのよ」と言いました。
そんなぁ~~。
それじゃあ、意味不明の言葉じゃないですか。
辞書を引いてみたら、「口語ではしたづつみともいう」と、確かに載っているのです。
口語では、ねえ・・・ 聞き間違えたり、言い間違えたのが、いつの間にかそれでいいことになっていったのでしょうねぇ。
「したづつみ」と言ったのを私が聞いた人は、本に書いてあった、と言ってました。
口語では、っていうことならば、文章に書く時は、舌鼓、もしくは、舌つづみと書いて欲しいですねぇ。
言葉は変化していくものだということは解ってはいるのですけれど。
購読している地元紙が、製作システムのトラブルとかで、土曜の夕刊と日曜の朝刊の紙面を他紙の協力でなんとか作っての配達でした。
いつもとは違う紙面になったので、見慣れない紙面はちょっと読みにくいものでした。
でも、それは仕方がないと思うのです。
ただ、紙面に載せたその事に対する新聞社のお詫びの言葉が、どうもねえ。
朝刊掲載分は、特に思うことはなかったのですが、トラブルの発生した日の夕刊に載った分は、ちょっとカツンとくる文章だったのです。
思いがけない事態で、てんやわんやで、文章を推敲している余裕があまりなかったのだろうとは思うのですが、日頃から言葉に対して感覚を磨いておくべき人たちが、こういう文章を書いて欲しくない、と思いました。
なんだか、高い所からものを言っているように感じられる文章だったのです。
トラブルのために遅配したことをおわびする文章には思えなかったのです。
どうして私はそんな風に思ってしまったのか、ちょっと気になったので、友人にその文章を読んでもらいました。そうしたら、まず言ったことは、「これ、何のこと?」でした。
何を言っているのか、それがわからない文章だったようです。
で、夕刊が遅配されて、それの理由説明と、お詫びの文、と説明した所、もう一度読み直して、おわびするなら、これは言葉が足りないね、と。
文字数に制限があったのか、どうやら言葉をけちったようです。
文末は、「ご了承ください。」 だったのですが、この言葉が、私には「仕方ないでしょ」と居直って、謝っているというより、我慢しろ、文句をいうな、といっているようにも受け取れて、気分がよくなかったのです。
この言葉は、他でもよく使われるし、間違った使い方をされているわけでもないのに、なぜだろうと考えたのですが、解りませんでした。
でも、友人の、「言葉が足りない」を聞いて、そうか、と気がつきました。
私は、「ご了承ください」の前には、やはり「なにとぞ」というひとことが欲しかったのです。
そこまでの文章にも、ぎくしゃくして解り難い部分があったので、なおさらそう感じてしまったのだと思います。
自分のことは棚にあげて、なのですが、多くの人に読んでもらう文章を書く事を生業としているのであれば、もう少し考えて欲しいな、と思ったのでした。
これ、どう読まれますか?
したつづみ ですよね。
それが当然と思っていました。
が、ある所で、「したづつみ」と言った人が居ました。で、別の人が、「したつづみでしょ」と指摘したのです。そしたら、また別の人が、「本来はしたつづみなのだけど、今は誤用が認められつつあって、したづつみでよくなりつつあるのよ」と言いました。
そんなぁ~~。
それじゃあ、意味不明の言葉じゃないですか。
辞書を引いてみたら、「口語ではしたづつみともいう」と、確かに載っているのです。
口語では、ねえ・・・ 聞き間違えたり、言い間違えたのが、いつの間にかそれでいいことになっていったのでしょうねぇ。
「したづつみ」と言ったのを私が聞いた人は、本に書いてあった、と言ってました。
口語では、っていうことならば、文章に書く時は、舌鼓、もしくは、舌つづみと書いて欲しいですねぇ。
言葉は変化していくものだということは解ってはいるのですけれど。
購読している地元紙が、製作システムのトラブルとかで、土曜の夕刊と日曜の朝刊の紙面を他紙の協力でなんとか作っての配達でした。
いつもとは違う紙面になったので、見慣れない紙面はちょっと読みにくいものでした。
でも、それは仕方がないと思うのです。
ただ、紙面に載せたその事に対する新聞社のお詫びの言葉が、どうもねえ。
朝刊掲載分は、特に思うことはなかったのですが、トラブルの発生した日の夕刊に載った分は、ちょっとカツンとくる文章だったのです。
思いがけない事態で、てんやわんやで、文章を推敲している余裕があまりなかったのだろうとは思うのですが、日頃から言葉に対して感覚を磨いておくべき人たちが、こういう文章を書いて欲しくない、と思いました。
なんだか、高い所からものを言っているように感じられる文章だったのです。
トラブルのために遅配したことをおわびする文章には思えなかったのです。
どうして私はそんな風に思ってしまったのか、ちょっと気になったので、友人にその文章を読んでもらいました。そうしたら、まず言ったことは、「これ、何のこと?」でした。
何を言っているのか、それがわからない文章だったようです。
で、夕刊が遅配されて、それの理由説明と、お詫びの文、と説明した所、もう一度読み直して、おわびするなら、これは言葉が足りないね、と。
文字数に制限があったのか、どうやら言葉をけちったようです。
文末は、「ご了承ください。」 だったのですが、この言葉が、私には「仕方ないでしょ」と居直って、謝っているというより、我慢しろ、文句をいうな、といっているようにも受け取れて、気分がよくなかったのです。
この言葉は、他でもよく使われるし、間違った使い方をされているわけでもないのに、なぜだろうと考えたのですが、解りませんでした。
でも、友人の、「言葉が足りない」を聞いて、そうか、と気がつきました。
私は、「ご了承ください」の前には、やはり「なにとぞ」というひとことが欲しかったのです。
そこまでの文章にも、ぎくしゃくして解り難い部分があったので、なおさらそう感じてしまったのだと思います。
自分のことは棚にあげて、なのですが、多くの人に読んでもらう文章を書く事を生業としているのであれば、もう少し考えて欲しいな、と思ったのでした。
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by koujitu3
| 2007-09-24 08:11